着想は単純だった。
愛おしい人の眠る場所が、寂しい場所になって欲しくない。ただそんなことを考えていた。
ふつう、お墓は、垂直に建てられた墓石が凛と一本立っている。時代を超え、世代を超え、力強く、多くのものを背負ったように立っている。それはそれで、逞しい姿だと思う。それを否定する気持ちはない。
けれども、今回のお墓を設計するにあたって、そんなふうに一人で立っているような姿よりも、たくさんのものが束なってひとつの全体像を形作っているほうが、どこか似つかわしいのではないかと考えるようになっていた。寂しくないのではないか、そう思った。
それは、東日本大震災が起こってしまった後だったからかもしれない。ひとはひとりでは生きていくことができない、ということを痛感していた。あなたがいて私がいる。旦那さんなり奥さんがいて。両親がいて、祖父がいて、子どもがいて、孫がいて。そんな重層的な繋がりのなかで、やっと自分がいる。いろんな関係を築きながら、支え合って、なんとか生きている。人が生きるとは本来的にそういうものではないだろうか。みんなが支え合って生きている、そんな姿をこのお墓で表現できないか。
具体的には、いろんな高さで切り出した120mm角の御影石を、ただただ寄せ集めた。ひとつでは立つことが不安定な棒状の石を集合させることで、安定して、立っている。ばらばらの高さの石が、無邪気に集まってひとつのかたちをつくっている。
石の束。そういう状態をお墓と呼んでみようと思った。
概要
名称 | 石の束 |
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所在地 | 愛知県半田市 |
用途 | 墓石 |
竣工 | 2012年6月 |
建築設計 | 市川大輔/adm |
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施工 | 石惣石材 |
竣工写真 | エスエス名古屋支店 |