「HIGH LINE」を読みました。
市民によって保存して運営しているニューヨーク高架鉄道跡の公園 HIGH LINE。
その経過をまとめた本です。
NPO「フレンズ・オブ・ザ・ハイライン」の設立者2人のストーリー。
建物や構築物は誰のためにあるんだろう。
オーナーのためかもしれませんし、利用者のためかもしれません。
住宅ならその住民や家族のためかもしれません。
それは正しい思うのですが、この本を読んでいるとそれだけではどこか足りない、
それだけでは説明できない部分がどうしてもある気がするのです。
HIGH LINEは、もともと貨物列車用の路面鉄道(後に高架鉄道)であったので、
それでいうと、HIGH LINEは輸送業や精肉業のための構築物ということになります。
きっと設計者・施工者もその人たちのために設計し、工事したのではないかと思います。
けれども、「フレンズ・オブ・ザ・ハイライン」は廃線になった高架線跡地に、
建てられた当初の目的や達成とは、まるで違う、自分たちのなりの価値を発見したんだと思います。
解体・撤去の決定を覆してまで、その発見を大切にしたんだと思います。
その発見が、これまでの歴史と相まって、高架鉄道という構築物を
立体的な都市公園として、いきいきとまた成長させたのです。
建物や構築物はつくづく、
「生みの親」も大切だけれども
「育ての親」も大切なんだなって気づかされます。(アートディレクター水野学さんの言葉です。)
宇宙物理学者・佐治晴夫さんが、「これから」が「これまで」を決める、とおっしゃっていました。
現在から発せられる、これからのための創造力が、変わらないとしてきた過去を決めていく。
建てられた当初の建物や構築物の目的を、
「生みの親」に敬意を持ちながら、「育ての親」が大胆に更新していく。
「建物や構築物は誰のためにあるんだろう」という問いは、
その都度その都度、問い続けなれなければならない。
時間とともに流動的で、とどまらないようにするべき問いかけなんだなって感じます。