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「たうえうた」のこと

By 市川 大輔 on 2014年7月26日 in Other

おととい「たうえうた」という映画を観てきました。 幼稚園からの友だちが作曲を担当した短編映画。 名古屋駅近くのシネマスコーレ。   農業に従事する幸子おばあさん。 彼女は昆虫や植物、あるいは食べ物と会話をしながら、 その恩恵を受けて自分が生きていること、それを自覚して暮らしています。 その会話というのは素直で、日常的で、家族との会話のようで、ガツンときます。   素晴らしく現代的な映画だと感じました。 そこで描かれる現代は僕たちの日常生活とはぜんぜん違うのに、現代的だと感じます。 現代的だというと、都会やコンピュータやSNSなどのような 最先端の技術や流行と少なからず接触してしまいます。 しかしながらこの映画はそのようなものとは接触せずに、現代を描いています。   昆虫、動物、田んぼ、畑、農家小屋。 前近代的な風景や出来事ばかりが登場します。 それでも、この映画が現代的だと感じてしまうのは、現在、 この日本に住んでいて感じている僕たちの、 問題意識や価値観みたいなものが即座に共感を促されるからだと思います。 映画の中での問題提起を、瞬時に僕らは了解してしまう、そういう凄みを感じました。 同時代的。 現在、日本に生きていて持っているだろう、そういう大きな課題に共感してしまうのです。 僕らは個人個人、別の価値観や個別の問題意識を持っているのは確かだと思います。 でも、というかだからこそ、その煩雑で多様な価値観を、 この映画は一挙にすくい上げてしまう、そんな大きさがありました。   自然保護は絶対正義であるだけに、 少しだけ善悪がくっきりし過ぎてしまっていることが気になったりしましたが、 それは逃げられない環境問題に直視を強いているのかもしれません。   植物を育てて食べるという根源的な行為を謳歌すること。 自然を慈しみ、自然とともにある生活が喜びに満ち満ちているということ。 そして何より幸子おばあさんの、豊かで明るく、独特のキャラクターに、 大きくて広い自然の素晴らしさを感じる映画でした。 ひとりの人間と大きな自然がダイレクトに繋がる、そういう感動。   音楽も、繊細で素晴らしかったです。…

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「NARA LIFE」のこと

By 市川 大輔 on 2014年7月19日 in books

「ナラ・ライフ」という本を 2012年横浜の展覧会を観に行って以来、断続して読んでいます。 ふっと思い出したように読んだりしています。 奈良美智さんの日記集。 自分なんてちっぽけだし、 くよくよしたりする。 間違ったり、後悔したりもする。 それでもしっかりと生きていくんだ。 切実に。 日常を大切に生きていくんだ。 隣にいるひとや慣れ親しんだものを貴重に思って生きていくんだ。 とるに足りないものを愛するんだ。 そんなふうな気持ちをもらいます。 非日常的なことを求めたり、 他人を羨ましいと思ったりしたとき、 この本を開くと あっいけないいけない、 そう思って、 身近な大切なものを目を向けようと思い直したりします。 いいカッコウをして装ったりすることを、ちょっとだけ恥ずかしくなったりします。 特別なこと、特権階級的なことを欲しがったりもするけれども 僕を形作ってるのはそんなものではきっとなくって、 もっとあの些細な、あのいつもの、それなんだって。 そう、それ! 182ページ 「やるしかないが、うまくいかない。 うまくいかないが、やるしかない。」 大丈夫。がんばろう。…

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「東京物語」のこと

By 市川 大輔 on 2014年7月8日 in Other

東京物語を観ました。 ずっと観よう観ようと思っていたんだけれども、 観る機会をつくることができず、 今になって観ました。 とても好きな映画です。 静かです。 家族の優しさや信頼、あるいは了解みたいなものが 静かなのに、ちゃんとしてて。 ときにそれらは残酷なほどちゃんとしてて。 ロー・ポジション、固定カメラで変化しない構図、人物のカメラ目線、などなど いわゆる小津調が特徴的。 最初はそっちのほうが気になっていたけれども、 物語が進むにつれ、 そんな映像的な特徴は遠く遠くに行ってしまって。 家族の描かれ方が、センチメンタルなのに湿ってなくって。 カラッとして乾いてて。 だから泣けない、 だけど泣くより心に重い。 家族は必ずしも血のつながりだけに閉じない。 家族なんて疎ましさや期待外れもあるさ。 あぁ家族はそれでも、なんだか素晴らしい!…

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「そして父になる」のこと

By 市川 大輔 on 2014年5月25日 in Other

「そして父になる」を観ました。 公開も終わって、いまさらですが、食い入るように観ました。 去年、子どもが生まれたので、映画館で見ることができなかったので、 DVDを買って来て観ました。   泣けました。 考えました。 何度か観ました。 また、何度も観たいです。 そして〇〇になる、の〇〇に違うものを入れてたりしました。   この映画のように、子どもの取り違えというような重大な事件は 日常的にはあまり起きないかもしれません。 だけれども、日常の中にも小さな事件はたくさんあって。   子どもが僕と一緒に手拍子をするようになったとか、 バナナが好きらしく、食べ足りないと表現するようになったとか、 ハイハイが早くなったとか、 お風呂に一緒に入ることが習慣になったとか、 仕事を頑張る理由が一つ増えたとか。   日常は、そのような小さな事件が積み重なって作られる。 身近で些細な層が少しずつ積み重なって。 だんだんと。ゆっくりと。 特別でない特別なことがささやかに。   父になる。 人生をかけて自分全体で「なっていく」。 小さな小さな事件を積み重ねながら。 一生分の時間をかけて。…

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「HIGH LINE」のこと

By 市川 大輔 on 2014年5月16日 in books

「HIGH LINE」を読みました。 市民によって保存して運営しているニューヨーク高架鉄道跡の公園 HIGH LINE。 その経過をまとめた本です。 NPO「フレンズ・オブ・ザ・ハイライン」の設立者2人のストーリー。   建物や構築物は誰のためにあるんだろう。 オーナーのためかもしれませんし、利用者のためかもしれません。 住宅ならその住民や家族のためかもしれません。 それは正しい思うのですが、この本を読んでいるとそれだけではどこか足りない、 それだけでは説明できない部分がどうしてもある気がするのです。   HIGH LINEは、もともと貨物列車用の路面鉄道(後に高架鉄道)であったので、 それでいうと、HIGH LINEは輸送業や精肉業のための構築物ということになります。 きっと設計者・施工者もその人たちのために設計し、工事したのではないかと思います。   けれども、「フレンズ・オブ・ザ・ハイライン」は廃線になった高架線跡地に、 建てられた当初の目的や達成とは、まるで違う、自分たちのなりの価値を発見したんだと思います。 解体・撤去の決定を覆してまで、その発見を大切にしたんだと思います。 その発見が、これまでの歴史と相まって、高架鉄道という構築物を 立体的な都市公園として、いきいきとまた成長させたのです。   建物や構築物はつくづく、 「生みの親」も大切だけれども 「育ての親」も大切なんだなって気づかされます。(アートディレクター水野学さんの言葉です。)   宇宙物理学者・佐治晴夫さんが、「これから」が「これまで」を決める、とおっしゃっていました。 現在から発せられる、これからのための創造力が、変わらないとしてきた過去を決めていく。 建てられた当初の建物や構築物の目的を、 「生みの親」に敬意を持ちながら、「育ての親」が大胆に更新していく。   「建物や構築物は誰のためにあるんだろう」という問いは、 その都度その都度、問い続けなれなければならない。 時間とともに流動的で、とどまらないようにするべき問いかけなんだなって感じます。  …

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半田市 半六邸報告会

By 市川 大輔 on 2014年4月21日 in Architecture, Other

昨日は旧中埜半六邸の保存と活用に関する半六プロジェクトの報告会に参加しました。 これまでの経緯や建築・広場を含めた整備の内容、管理区分などが順序立てて聴くことができたので 内容を改めて自分の中で整理することができました。 このような報告会が行われたりすることは改めて貴重で有意義なことなんだと感じました。 活動が開いていく。NPOの活動と市の整備と市民の声がミックスして発展していく。   去る4/4には、半六邸の構造計算を担当してくださる先生や意匠設計の建築家の先生の視察に ご一緒させていただきました。 敷地の西側にある西蔵。その棟木はとてもきれいで緻密で。 そこにはハッキリと「安政二年」という文字が。 …安政二年!? 幕末。安政の大獄で有名な、あの安政。西暦1855年。いまから159年前。 ペリー来航が1853年。桜田門外の変が1860年。坂本龍馬暗殺が1867年。 新美南吉は1913年生まれなので、まだまだ生まれてないのか。。とか、 歴史と建物と自分の故郷が、一気にぶわーっと頭を巡ったり重なったりして。 そんな頃にこの西蔵が建てられたことを目の当たりにすると、心底ドキドキしました。 この半田の地で、明治維新や戦争や近代化の歴史を通過してきているのかと思うと 感慨も一段と深くなりました。 興味も一段と増しました。 「歴史的記述」がはじめて心に反応しました。 …

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半田市 半六邸

By 市川 大輔 on 2014年3月24日 in Architecture, Other

昨日は、半田市の中埜半六邸の草引きのお手伝いをさせていただきました。 天気も良く、暖かく、気持ち良い一日でした。 半六邸の庭園の草をむしりながら、 この半六邸がそうであるように、 長い長い時間の中で、それでも使いたくなるような建築について考えたりしていました。   建築はほかのプロダクトに比べると、とても長い時間、そこに建ってしまいます。 この椅子はこのテーブルに合わないから変えようというような気軽さでは、 建築をその土地から切り離すわけにはいきません。 建築は一定期間の風雪や時代の変化に耐えなければなりません。 長い時間という観念は、建築の背負っている宿命かもしれません。   ですが、昨今では日本の住宅の建て替え平均は30年前後です。 建物の寿命の長期化には、 耐久性や耐候性があって、間取りがフレキシブルであるというような 高性能の実現というだけでは少し足りないような気がします。 それらを備えていても、解体されてしまう建物は日本にはたくさんあるからです。 機能や性能は時代によって揺らいでいきます。 ここ半六邸も、邸宅から飲食店などに用途が変更されます。 プログラムというのは長い時間のなかでは、とても儚いものです。   時間の流れや変化に耐えうる強さとは何だろう。 長いあいだ使いたいと思うことのできる建築とはどんなだろう。 新しさ以外の建築の価値とはどのようだろう。   建築の設計は、そんな時間ヘ投げかけるような問いと向き合いながら、 それを下敷きに議論したり、判断したりしなくてはならないのだと思うのです。   草引きをしながら、 100年前の暮らしを想像してみて、うまくいかないと 100年後の暮らしを想像したりして。 それを行ったり来たり。  …

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