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お知らせ・ブログ

半田市 半六邸

By 市川 大輔 on 2014年3月24日 in Architecture, Other

昨日は、半田市の中埜半六邸の草引きのお手伝いをさせていただきました。 天気も良く、暖かく、気持ち良い一日でした。 半六邸の庭園の草をむしりながら、 この半六邸がそうであるように、 長い長い時間の中で、それでも使いたくなるような建築について考えたりしていました。   建築はほかのプロダクトに比べると、とても長い時間、そこに建ってしまいます。 この椅子はこのテーブルに合わないから変えようというような気軽さでは、 建築をその土地から切り離すわけにはいきません。 建築は一定期間の風雪や時代の変化に耐えなければなりません。 長い時間という観念は、建築の背負っている宿命かもしれません。   ですが、昨今では日本の住宅の建て替え平均は30年前後です。 建物の寿命の長期化には、 耐久性や耐候性があって、間取りがフレキシブルであるというような 高性能の実現というだけでは少し足りないような気がします。 それらを備えていても、解体されてしまう建物は日本にはたくさんあるからです。 機能や性能は時代によって揺らいでいきます。 ここ半六邸も、邸宅から飲食店などに用途が変更されます。 プログラムというのは長い時間のなかでは、とても儚いものです。   時間の流れや変化に耐えうる強さとは何だろう。 長いあいだ使いたいと思うことのできる建築とはどんなだろう。 新しさ以外の建築の価値とはどのようだろう。   建築の設計は、そんな時間ヘ投げかけるような問いと向き合いながら、 それを下敷きに議論したり、判断したりしなくてはならないのだと思うのです。   草引きをしながら、 100年前の暮らしを想像してみて、うまくいかないと 100年後の暮らしを想像したりして。 それを行ったり来たり。  …

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常滑市 INAXライブミュージアム

By 市川 大輔 on 2014年3月11日 in Architecture, Other

常滑市にINAXライブミュージアムという、タイルや便器や、 焼物や土に関する展示やワークショップをしている博物館があります。   自宅から車で15分くらいなのですが、 はじめて行ってきました。   のどかで朗らかで、一般的に博物館という言葉が喚起するイメージとはどこか違くて、 屋外展示や中庭、景観やこの場所にいたる道のりも含めて、 そういう全部でミュージアム空間のように感じました。 環境全体が展示というか、 展示も素晴らしいが、 環境の気持ち良さもより素晴らしい そういうふうに感じてしまう体験的な博物館です。   タイルというと今や工業製品として、 規格的で狂いなきものと僕は考えてしまっているんですが、 ここを体験していると、 タイルは、どこまでも大地や炎との対話の中から生まれてくる、 とても自然的な、 そして崇高な、 原始的な創造の気分に満たされます。 創造の起源。   紀元前のタイル。 洋の東西を超えた世界各地のタイル。 装飾としてのタイル。 機能的なタイル。 時空を問わず、文明のあるところには タイルが人の生活、人の生きるという行為そのものに関わっていることがわかります。   人が土に触る、その瞬間に、 人はその形を変形させ、 創造へ掻き立てられるんだと思います。 ものをつくる喜びや楽しみが ごくごく自然なことで、 ごくごく尊いことのように感じました。…

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名古屋市 LYT+HOPE design center 

By 市川 大輔 on 2014年3月1日 in Other

以前に勤めていた設計事務所の頃からお世話になっている LYT + HOPE design center さんへお邪魔して。 代表 鈴木さんから様々なことをお聞きできました。 仕事のこと、独立のこと、作品のこと、デザインのこと、家族のこと、 どれも自分の今に直結しているので有難いです。   なかでも「POP BONSAI」のお話は興味深かったです。 小さな自然や、それを含めた環境との付き合い方に共感しました。 気軽に、敷居低い盆栽のあり方を、楽しみながら実践されている。 そしてそれをビジネスのかたちに提案できないかを模索されている。 それが素晴らしい。 なんだか、ビジネスというと、少しだけ後ろめたいような腹黒いような気配を伴ってしまう言い方ですが、 そうではなくて、 デザインやそれに関わる作品の、積極的な社会との関係性の築き方の一つなんだと思います。 デザインが自己完結的でなくパブリックな意味を備えること、社会に対して開くこと。 社会に必要かどうか、社会の問題提起に値するかどうか、ビジネスという観点でそれを見定めること。 それこそが、これからのデザインには重要な要素だと思うからです。 鈴木さんの、とことん提案ベースのデザインのあり方に感激。   というわけで僕のiPHONEも、POP BONSAI ステッカー によって 一新していただきました。   http://www.lyt-hope.com/ なんだか楽しいデザインに満ちています。 iPHONEステッカーも完全オリジナルを、気軽な予算で注文できるみたいなので、販促などに是非。 写真はいただいたiPHONEステッカーとLYTさんオリジナルの爪とぎです。   鈴木さん、ありがとうございました。…

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名古屋市 両口屋是清

By 市川 大輔 on 2014年2月17日 in Architecture

昨日は明るく少し暖かな陽気だったので、 洋服などの買い物に名古屋へ。   お昼過ぎのデザートに、新しくできた両口屋是清に行ってきました。 隈研吾さんの設計。 きれいで、上品で、穏やかだけど主張的で。 隈さんの設計した建物にはいつもながら見惚れてしまいます。 和菓子もとても美味しかったです。   僕は栃木県の大学なのですが、 隈さんの設計された建物は栃木県にも数多くあり、 学生の頃はしばしば、勉強しに見学に通っていました。   肌とシャツのあいだに、乾いた空気が通り抜ける感じ。 からっとしてて。透明で。 建築が陽気な気候に融けていました。…

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By 市川 大輔 on 2014年2月8日 in Other

今日は半田市でも雪が降っています。 (今は雨に変わってきているようですが。) 雪は、街の姿をがらりと変えてしまう力があります。 それにはいつも驚くのですが、 見慣れていたはずの景色がとても美しく見えるのです。 凛として。 細やかな白が反射して。 雪化粧という言葉がありますが、化粧のように雪は街の表情を新鮮なものにしてくれます。 その新鮮さのおかげでこの街をもう少し普段も、よくよく見てみたいと思ったりします。   そんな雪に覆われた景色を見ると、 川内倫子さんの写真を思い出したりします。 ふわっとした光に満ち満ちた川内倫子さんの写真は その写真の対象物に目が行くより先に、 その繊細な明るさに自分の目が向いているような気がします。 対象物の多くは、普段のものだったり、毒々しかったり、 残酷だったり、目をそむけたくなるような切なさや青春だったりします。 そういうものが雪のように繊細な光に満たされて、 新鮮さや尊さを与えられているように感じるのです。今日のように。  …

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半田市 新美南吉記念館

By 市川 大輔 on 2014年2月3日 in Architecture

日曜日、家族を連れだって、半田市の新美南吉記念館を訪れました。 とても久しぶりにじっくり見ました。 1990年に設計競技が開かれ、その最優秀案が実現されています。 僕は1980年生まれなので、当時10歳。そんなコンペが行われたことなど、半田市に住んでいても10歳の少年は梅雨知らず。 図書閲覧室のほんの隅の方に保管された、当時のコンペの図版を見るととても興味深い。 当時の建築家の、建築感が束になって瑞々しく伝わって来ます。 それによると最優秀案設計者は、1958年生まれ。当時32歳ということになる。自身の事務所を立ち上げて2年とある。 それだからか、建築が若々しい。 (もちろん、建築の若々しさは、設計者の年齢や経験値に無関係であるというのも真実だと思います。) 曲面屋根の連なり、 屋上緑化による地続きなランドスケープ、 地階と地上のコンポジション、 短冊状空間を横断する展示室へのアプローチ、 太鼓橋のようなスロープ、 天井高、 コンクリートの打放し、 手すり、 雨水処理、 ハイサイドライトと屋上スラブ面の距離、 そういうものみんなが、挑戦的で若々しい。 まだ見ぬ建築へ、勇気を持って向かっていく。 勇気を持って提案し、勇気を持って実現していく。 摩擦や困難があったに違いない。 若々しいとは挑戦的ということです。 既視に懐疑的ということです。 未知に寛容的ということです。 そんな姿勢に、僕はこの建築が素晴らしいものと感じずにはいられないのです。…

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「歩くような速さで」のこと

By 市川 大輔 on 2014年1月31日 in books

「歩くような速さで」を読みました。 映画監督 是枝裕和さんのエッセイ集。   読後の印象は、とても晴れ晴れしかったです。 いたずらに、掻き立てられたり、落ち込んだりしない。 それこそ歩くような速さで自分の心理が反応していました。 自動車のような排他的なスピード感ではなく、 徒歩という許容的なスピード感でまちを体感する、まさにあの感じ。   映画監督の心構えというか、ものごとの見方や良心が、 正直に書かれている気がしました。 それらは何も映画監督に限ったことではなくって、 むしろ、どんな職業であろうとも、 現代の私たちの共通認識みたいな、普遍的な価値観を提示しているように思えたのです。   子ども頃や思春期に経験したエピソードが、かたちを変え、 というかけっこうそのまま、自身の映画やドラマに使われていることを知りました。 ごくごく個人的な価値観や経験談が、いっきに国際的な普遍性を持つことがあるということを。   特に共感できたのはこの一節。 「僕が作品を生んでいるのではない。作品も感情もあらかじめ世界に内包されていて、 僕はそれを拾い集めて手のひらですくい、ほらっと見せているに過ぎない。作品は世界との対話である。」   建築もしばしば、設計者をして作品と呼ばれる事があります。 そのこと自体は慣習的なことだと思いますが、 それ以上に、建築は設計者なり施工者なりが自然を征服して全人工的に作品になっているという、 心持ちのほうがずうっと違和感があります。 是枝さんの作品のように、建築のかけらを拾い集めるように建築を作れたりはできないだろうか。 建築が、対話やコミュニケーションを生むように、丁寧に。  …

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