おととい「たうえうた」という映画を観てきました。
幼稚園からの友だちが作曲を担当した短編映画。
名古屋駅近くのシネマスコーレ。
農業に従事する幸子おばあさん。
彼女は昆虫や植物、あるいは食べ物と会話をしながら、
その恩恵を受けて自分が生きていること、それを自覚して暮らしています。
その会話というのは素直で、日常的で、家族との会話のようで、ガツンときます。
素晴らしく現代的な映画だと感じました。
そこで描かれる現代は僕たちの日常生活とはぜんぜん違うのに、現代的だと感じます。
現代的だというと、都会やコンピュータやSNSなどのような
最先端の技術や流行と少なからず接触してしまいます。
しかしながらこの映画はそのようなものとは接触せずに、現代を描いています。
昆虫、動物、田んぼ、畑、農家小屋。
前近代的な風景や出来事ばかりが登場します。
それでも、この映画が現代的だと感じてしまうのは、現在、
この日本に住んでいて感じている僕たちの、
問題意識や価値観みたいなものが即座に共感を促されるからだと思います。
映画の中での問題提起を、瞬時に僕らは了解してしまう、そういう凄みを感じました。
同時代的。
現在、日本に生きていて持っているだろう、そういう大きな課題に共感してしまうのです。
僕らは個人個人、別の価値観や個別の問題意識を持っているのは確かだと思います。
でも、というかだからこそ、その煩雑で多様な価値観を、
この映画は一挙にすくい上げてしまう、そんな大きさがありました。
自然保護は絶対正義であるだけに、
少しだけ善悪がくっきりし過ぎてしまっていることが気になったりしましたが、
それは逃げられない環境問題に直視を強いているのかもしれません。
植物を育てて食べるという根源的な行為を謳歌すること。
自然を慈しみ、自然とともにある生活が喜びに満ち満ちているということ。
そして何より幸子おばあさんの、豊かで明るく、独特のキャラクターに、
大きくて広い自然の素晴らしさを感じる映画でした。
ひとりの人間と大きな自然がダイレクトに繋がる、そういう感動。
音楽も、繊細で素晴らしかったです。